”狙撃には、その行為自体に初めから名詞がついちまってる。だからスナイパーだけは、捕虜になれない。”
狙撃手は捕虜に取られない…、何故だかわかるだろうか?
それは”狙撃”という行為故である。
狙撃兵は狙撃によって、敵の頭脳を文字通り粉砕する事が可能である。
だが、裏を返せば仲間を撃ったのが誰か、一発で分かる行為でもある。
皆さんは疑問に思った事は無いだろうか?
今まで戦っていた目の前の敵が降伏し、何故捕虜として扱えるのか…と。
もちろんジュネーヴ条約があるから、と言う側面もある。
しかしながら、仲間を撃たれ殺されてもなお、どうして捕虜を取れるのか。
理性も条約も倫理も吹き飛んだ第二次世界大戦の東部戦線でさえ、少なからずドイツ軍ソ連軍とも捕虜を取っているのは何故なのか。
それは”仲間を撃ったのが誰か、分からないから”
普通の戦闘ではアサルトライフルなどの銃器で弾をばらまく為、微妙に誰がどの弾を撃ったかが分からなくなる。
その為戦闘後の敵の捕虜を取る時、”仲間を撃った奴はこいつじゃなくて死んだ敵かもしれない…”と心の隅で強引に納得する事が出来る。
この納得によって、条約に則って一応一定の身分を保証する”心の余裕”が生まれるため、一般兵は捕虜になる事が出来る。
だが狙撃手はどうか。
誰が撃って仲間を殺したかが、完璧に分かるのである。
そうなると、仲間を殺された事による怒りや悲しみが、向い易い対象を得た事によって憎しみへと変化し、狙撃兵に向けられる。
そうなれば倫理や理性が吹き飛び、感情に赴くまま、最大限の苦痛を伴うリンチが往々にして行われてきた。
即刻射殺などまだ幸せな方で、とてもここには書けない身の毛のよだつ方法によって遊ばれるのである。
もちろんその先に捕虜などと言う天国は無い。行く先は死のみである。
